投稿者
 メール ※掲示板には表示されません(詳細)
  題名 ※管理者の承認後に掲載されます。
  内容 入力補助
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>医療 ]

全99件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

岡本

 投稿者:一休さん  投稿日:2009年11月25日(水)11時03分37秒
  >【今日の一言】 2009年11月25日-水曜日
人の職業や性格をうらやんだりするのは自覚が足りないからです。自覚とは自分は果たして如何なるものを好み、何を人生の目的とするのか正しくハッキリと認識する事。森田正馬<

森田は人生訓が好きな様ですが、それは純然たる医療とは別次元の話です。
また、例によって自覚が出てきましたが、自覚では神経症は治りません。

如何なるものを好み、何を人生の目的とするのか云々とありますが、目前のことが満足に出来ず、妄想状態の神経症者にそれを言った所で、百害あって一利なしです。

また、今回の説教は森田が常々戒める「かくあるべし」そのものではないのか?

この種の問題も近藤先生が言われるように

>努力しないで自然にまかせたらどうでしようか。
あんまり努力して、かたくなにカチンカチンになっていると、かえつてますます心のキズを深くして、葛藤を強くしていってしまうものです。

心の想いとか、心の葛藤というものは、ムリになんべんもなんべんも妙な努力をしなければ、自然に溶けて消えていく性質のものなんです。だから、ほっておいたほうがいいですよ。<
の方が余程的確なアドバイスのように思えます。

森田は「煩悩の犬、追えども去らず」また「自然に服従し、環境に従順なれ」と言っていますが、今回の言葉も矛盾していますし、やはり強迫的な言葉です。

強迫脳を持った森田からは、強迫的な言葉しか出てこない。
 

岡本

 投稿者:一休さん  投稿日:2009年11月24日(火)00時30分55秒
  >【今日の一言】 2009年11月24日-火曜日
ここで私が体験してほしいのは、心を自由に働かせて、あまりいろいろ制限を加えない事であります。森田正馬<

制限を加えるなということであるなら、まず第一に森田を含め、神経症関係や加藤諦三などの自己啓発の本を読まないことです。
そこから始まります。

また、岡本さんのホームページには症状別アドバイス集なるものがありますが、その量たるや、かなりのものです。

岡本さんはその矛盾に気付いているのでしょうか?

「なすべきことをなせ」「努力」という掛け声も森田の洗脳が完全ではないにしろある程度解けた自分には強迫的に聞こえます。
 

訂正

 投稿者:一休さん  投稿日:2009年11月23日(月)14時01分43秒
  「雑用をしても何もならないもならない。何もならないから雑用をするのだ」→「雑用をしても何もならな。何もならないから雑用をするのだ」  

続き 岡本

 投稿者:一休さん  投稿日:2009年11月23日(月)13時42分34秒
  >【今日の一言】 2009年11月23日-月曜日
気にするのはつまらない無駄な事である、気にしないようにしよう、とか考えるのが強迫観念の発端である。森田正馬<

では、不安をあるがままに受け入れようも同じ強迫観念ではないのか?
また、そこから転じて、不安をあるがままに受け入れる為になすべきことをなそうも同じ強迫観念ではないのか?
更にはなはだしきは、仕事や勉強をすれば、内に向かっていた注意が嫌でも外に向かうようになる。そうすれば症状を忘れるから仕事や勉強に努力しようも強迫観念ではないのか?

それに対し、禅の講義の中に沢木興道老師の話が出ていましたが、「雑用をしても何もならないもならない。何もならないから雑用をするのだ」との旨の文章が出ていたかと思います。

無為療法は森田のパクリだという人がいるようですが、このぐらいのことが理解出来ていないのに、安易に批判するなどはおこがましい話です。
 

岡本

 投稿者:一休さん  投稿日:2009年11月23日(月)11時46分14秒
  >【今日の一言】 2009年11月23日-月曜日
気にするのはつまらない無駄な事である、気にしないようにしよう、とか考えるのが強迫観念の発端である。森田正馬<

では、不安をあるがままに受け入れようも同じ強迫観念ではないのか?
また、そこから転じて、不安をあるがままに受け入れる為になすべきことをなそうも同じ強迫観念ではないのか?
 

みずのさんと一休さんへ

 投稿者:斎藤  投稿日:2009年11月23日(月)06時52分53秒
  将来的には障害手帳の普及対象になるでしょう。但しうんと先の話だ。
神経症のために生活が困窮している人は沢山いる。
アルバイトも出来ない人はざらなのです。平均賃金の差は200万円以上
であろう。当たり前の話で身体的にどこか障害が生じているのではなくて
身体を命令する脳に障害が起きているのだから話は深刻である。

近藤先生は精神科の医師としてごく当たり前のことを言っている。私が
面接した精神科医は全て同じような見解であった。
ただし、彼等は神経症の深刻さを理解していない。何か他人事のような
感じで扱っている。彼等自身分からないし、分かろうともしないし、
研究にはまったく意欲が無い。やることは薬を処方するだけ。
そんな人の意見を聞いてもむなしい。
その点森田は自身が神経症を苦しんでいるから深刻さを認識している。
但し深刻ゆえに事実をゆがめて神経症を単なる心得違いと
無理に解釈して後世に恥をさらすことになった。
 

核心ですね

 投稿者:みずの  投稿日:2009年11月23日(月)02時21分3秒
  今の斎藤先生の見解は核心をついていると思います。

「責任をとれ」と。

この辺も分岐点のような気がします。


自分の経験でも脳が異常な動きをしていて、普通の判断力がないこと。

いまでもあせるとそうなりますが。

本当に生まれつきの障害ですね。

障害者手帳はもらえないでしょうが(笑)
 

岡本

 投稿者:一休さん  投稿日:2009年11月22日(日)21時36分48秒
  近藤章久先生

>今の努力というコトバが気になるんですけれど……。努力してもどうにもならないのが神経症なんです。努力しないほうがいいんですね。
逆説的な言い方になりますけれど、努力という言葉をもってくると、どうも神経症の人はまずいほうにいってしまうんです。
努力しないで自然にまかせたらどうでしようか。
あんまり努力して、かたくなにカチンカチンになっていると、かえつてますます心のキズを深くして、葛藤を強くしていってしまうものです。

心の想いとか、心の葛藤というものは、ムリになんべんもなんべんも妙な努力をしなければ、自然に溶けて消えていく性質のものなんです。だから、ほっておいたほうがいいですよ。
そしてあなたの手は、本来の動く作用はあるんですから、きっと何かの理由でそうなっているんでしよう。だけど今、自分では、どういうことがその原因や理由であるのかは、わからない。
わからないときは、いくら頭を使って詮索してもどうにもなりません。だから捨てておくのがいいんです。<

上記、近藤氏の文章を前回同様岡本さんのホームページから引用しようと思い、検索してみましたが、既に削除されていました。そこで自分のPCに残っていたものから投稿しました。
近藤氏は精神分析の人であり、恐らく神経症を経験していないと思います。
その神経症脳を生まれつき持っていない近藤氏と斎藤先生の見解が一致している点は面白いと思いました。
それにしても岡本さんは、努力、反省、自覚の世界の森田のホームページに何故見解の異なる近藤氏の文章を載せたのか?
岡本さんは森田療法に対する定見というものをお持ちなのだろうか?近藤氏の文章と森田のやり方は方向性がまったく違います。
下衆の勘ぐりかもしれませんが、自分が森田批判の為にたびたび引用したから、今回削除となったのではないかと感じます。
 

森田と神経症者は共同犯人

 投稿者:斎藤  投稿日:2009年11月22日(日)10時28分32秒
  一休さんは鈴木を非難していますが、詐欺に引っかかるのと似ていて、
詐欺をする犯人は悪いが、自分が損をするのだからだまされるほうも幾分かの
責任を取らないとならない。私も鈴木にだまされたほうであるが、「間髪入れずに動け」
についていくことは出来なかった。

このような不自然な教え、命令を忠実に守ろうとする姿勢に既に重大な
問題がある。森田療法ではだます方、だまされる方両者に共生関係が
生じている。この異常な事態は、鈴木を退院した患者が20年も経っていて
神経症がさっぱり良くなっていないのに、まだおかしな教えを実践しようと
しているのにも現れている。

全ては神経症の狂いの脳の仕業であり、この狂いを事実と受け入れるまで
は人生の膨大な無駄が続く。
 

岡本

 投稿者:一休さん  投稿日:2009年11月21日(土)11時49分25秒
  >【今日の一言】 2009年11月21日-土曜日
(心の抵抗をなくする事を)体得するのは、自力的に努力するよりは、他力的に環境を選ぶ事が肝心です。森田正馬<

森田は努力、反省、自覚の世界だと思っていたら、自力的努力を否定しています。
では、森田正馬の「努力即幸福」の標語はどうなのか?

また、「なすべきことをなせ」「目的本位」「向上心の達成」「行動が性格を変える」「恐怖突入」「プラスの行動には快の感情が伴い、マイナスの行動には不快の感情が伴う」「優先順位の高いものからやれ」などのお言葉を墨守しながら動いている在野の神経症者はどうなるのか?

森田理論を家で学習しながら、「奮闘」している神経症者は駄目だということになります。
そんな事を今更言い出すというのは、彼等に対しての背信行為ではないのか?

他力的に環境を選ぶ事が肝要とありますが、自力の反対が他力です。つまり、自力(努力)を放棄して、環境に身をゆだねよです。

しかし、生活発見が他力的な環境であると岡本さんは言いたいのなら、あそこは駄目です。
何故地方の集談会場の閉鎖が続くのか?何故値下げキャンペーンを行わざるを得ないのか?

入院森田は鈴木の所しか経験が無いので他は分かりませんが、「間髪入れずに動け」「ふっとした動き」を体に染みこませることをやっています。

「こうしなくてはならない、という事が心の葛藤になり抵抗となって、自然な心の流動をふさいでしまう。」とありますが、「間髪入れずに動け」「ふっとした動き」は「こうしなければならない」に他ならないのではないのか?

また、単に「動き」と言う言葉も習いましたが、それすらも強迫的です。

何故なら健康人は取り立てて「動き」に意識を置いていないからです。

「間髪入れずに動け」では、おちおち昼寝もしていられませんし、家ではそんな無理な動きは一週間と続きません。
会社でその動きをやるのは強迫観念に踊らされた姿であり、一種の強迫行為です。
 

以上は、新着順11番目から20番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/10