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自然治癒

 投稿者:永平寺蕎麦  投稿日:2018年 6月10日(日)18時27分12秒
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  お久しぶりです。小生は、7、8年位前に初めて投稿させていただいた者です。斎藤先生
の本を読んで、それまで分からなかった事柄が、すっきりわかり、感謝した者でございます。
今は65歳が過ぎ、上司に恵まれて引き続き仕事ができ、また年金も受給できてありがたい
日々を過ごすことができており、感謝の日々を過ごしております。


小生は、斎藤先生ほど治っていない人間だと自覚しております。しかし、一日24時間のうち、苦しく感じるのは合計2、3分位で残りの時間は、やはり楽しいという表現が適当な感じの毎日であ
ります。

ここ何年かはこのホームページを離れておりました。昨日からこのページを読ませていただいて
おります。僭越なことは百も承知で、少し書かせていただきたく思います。

神経症を治すことは実際は、極めて簡単なことであると思います。
斎藤先生の表現を用いるならば、今立ち上がって雑用をする。その結果、いつの間にか苦痛は小さくなり、心に平安が来て、神経症の世界から離れている。
今度は、そうか、雑用をすれば心に平安が来て、神経症の世界から離れることができるのか。
ならば、雑用をして神経症を治そうと意識すると、神経症の地獄にはまっていく。
このからくりを、自分の頭で整理できたら、神経症は卒業であると思います。

「雑用をして神経症を治そうと意識する」を「治そうと意識しない」人間に変わるのが難しいように思います。しかし、これは少し訓練すればできるように思います。
その訓練とは、無で雑用ができて心に平安が来た時の、自分を顧みたらわかりやすいように思います。
無で雑用ができたときは、考えていないときであり、自分に言葉を使っていないときであります。小生は、宇佐先生のところに入院しましたが、「苦しみに対して、自分に言葉を使わない、絶言絶慮」この教えは一番役に立ちました。そのほかの教え、例えば「自己中心性の打破」など
はチンプンカンプンでさっぱり分かりません。

この自分に言葉を使っていない状況、は実はいろんな時に現れていると思います。
神経症で苦しくて苦しくて堪らないときに、横になってジーとしていたら、いつの間にか楽になる場合、その時は自分に言葉を使っていないときであると思います。
小生は、苦しいときに、吐く息を数えるようにすると、7、8秒で心に平安がきます。吐く息を数えることも、自分に言葉を使わない訓練の一つのように思います。
要するに、立ち上がって雑用をして神経症から脱出できた時を思い出して、それを地道に繰り返したらよいように思います。
あるいは、苦しいときにジートとしていたら、楽になった状況を思い出して、自覚していったらよいと思います。
小生は、神経症で発狂しそうになった時、治すことを棚上げして、目の前の仕事をしていったら、一時間位で心が楽になり、仕事をやり遂げたことがありました。その時は、自分に言葉を使っていなかったので、宇佐先生の絶言絶慮がはっきりわかりました。

立ち上がって雑用を無でしているときに、結果として、症状の受容が起きているのであります。

小生は、10数年前に地元の生活の発見会に数回参加しました。その時に、森田先生の全集第5巻の輪読をやっておりました。その輪読の時に「なりきる」という文章があり、小生は「なりきる」方法を教えてください、と申したことがありました。
会の指導者はしっかりした仕事をされておられる方でした。その指導者の方は、「そんなこともわからないの?」旨の発言をされたことを、はっきりと覚えております。

その方は、なりきる、ということを教えられたら、スーとなりきれて、無、になれる方だと思います。
小生は、なりきろう、なりきろう、として、なりきろう(意識)VS  なりきっている(無意識)の闘いが生じ狂いが始まる人間だと思います。

どうも神経症の人は二種類あるように思います。
H.Nさんのように、なりきろう、受容しようとして、スーとなりきれて、受容ができる人。

小生のように、なりきろう、受容しようとして、意識VS無意識の闘いが生じ狂う人。

小生は、立ち上がり無で雑用をしている時に、結果として、なりきり、受容、あるがままが生じているんだと思います。
また、神経症で苦しいときに、自分に言葉を使わずにジーとしている時に、結果として、なりきり、受容、あるがままが生じているんだと思います。
そして、結果と目的をごっちゃにしてしまうと、死ぬまで地獄は続くように思います。

最後に触れさせていただきますが、神経症は脳の器質的な病気であると思います。
仮説ですが、最新の脳科学は次のように説明しております。
帯状回、偏桃体という表現で説明されています。帯状回は脳の司令塔、偏桃体(核)不安をもたらすもの。
神経症者はもともと、帯状回が薄くて機能不全。無で雑用出来ている時など、偏桃体に言葉を使っていないときに帯状回が活性化して、帯状回が厚くなり、偏桃体をコントロールして、いつの間にか心に平安が生じる、と説明されています。
しかし、こんな仮説はどうでもよいと思います。
要は、無で雑用して、心に平安が起きてしまえば、神経症は卒業と思います。

一方的な長文、乱文乱筆失礼しました。掲載されたら幸運だと思っています。 
 
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