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初心の弁道、すなわち本証の全体なり

 投稿者:斎藤  投稿日:2018年 8月 9日(木)09時51分38秒
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  西嶋和夫著の「仏教問答」から

問い:「座禅をすれば、即坐に我々は、自分達の気持ちを正しい状態に置く事が出来るのですか」
答え:「そうだ。座禅をやりさえすれば、それを始めた瞬間から、
我々は我々の心を仏教が最高と考えている状態に持っていくことが出切る。
道元禅師はそのことを、「初心の弁道、すなわち本証の全体なり」と言われている。
初心者が始めて行う座禅もまた、本質的な体験の全体その物であるという意味だ」

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禅と無為療法では大変似ている所がある。雑用をしている最中が既に神経症の外側で
「初心の弁道、本証の全体なり」になっている。禅の修行僧も信じられないと感じるし、
無為療法をする神経症者も同じだろう。

しかしそれは事実なのです。
48歳のある晩にもう一切の治療法を求めない事、雑用を開始すると宣言した翌日の
気持ちと今の斎藤では何処に違いがあるのか。殆ど同じである。
でもやはり同じでない部分もある。

それは20年以上も神経症外側の世界に生きていると、神経症は遠くなりにけりで、
対人恐怖、異性恐怖なんて他人事になっている。しかし48歳の時点では
神経症の内側は直ぐ自分の横にいる。
転落は今すぐでも起きる恐怖は耐え難いものがあった。
 
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