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神経症を治すホームページより森田療法批判

 投稿者:まち(Chore)  投稿日:2018年10月29日(月)10時40分3秒
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  あるがままの間違い
この世の中にあるがままと言いつつ生きている人は誰もいない。いれば森田療法を実施している神経症患者だけであり、彼等はあるがままと言いながら神経症の世界に貼り付けになっている。健康世界ではあるがままと言う言葉そのものが存在しない。

恐怖突入の愚
恐怖突入とは、不安の中に意図的に飛び込み一挙に不安を解決しようとする行為である。恐らく神経症者各位皆試みていその愚に気が付いてるはずだ。貴方の脳は不安に対して脆弱に出来ていて、その脳に恐怖をけしかけると脳に深い傷を負わせる事になる。あらゆる病気を治す基本に戻って、負担を軽減し、不安から身を引くのが第一である。

生活の徹底
健康な人は結果的に生活に徹底しているだけで徹底しようとは思わない。もし諸君が生活の徹底の先に神経症の治りがあると考えて努力をしていたら、貴方の生活は破壊される。生活を徹底するから神経症が治るのでなく、神経症が治ると自然に生活は徹底される。

疑わしい禅との関連性
森田の弟子達は森田療法と禅の近似性を説明するが、森田自身はその著書の何処を読んでも禅を言及していない。確かに神経症の治癒と禅の悟りは似ているが、禅では悟を求める座禅をきっぱり否定するのに対して、森田療法では神経症を治す目的で動くよう教える。これは禅の考えとは正反対であり矛盾している。

ハラハラ、ビクビクしなさい
ハラハラ、ビクビクは自然に起きる感情であり、意図的に起こすものではない。不自然な努力をしなければ、状況に応じて誰でもハラハラ、ビクビクする。それを意図的に起こそう、あるいはそうすれば神経症が治るのだと説く人間こそがが狂いの世界にいる。

仕方なしに目の前の仕事をちょっとやる
仕方なしに目の前の仕事をちょっとやれば動きの世界に入り、神経症が治るような錯覚を覚えやすい。しかし、神経症者ではちょっとやる自分をもう一人の自分が観察していて、神経症が治るかどうかの確認作業をしている。私はこれを意識の二重化と言い、意識が二重化したら失敗である。重大な結果が待っていて間もなく鬱状態に陥る。

現在になり切る
確かに健康な人は現在になり切っているが、そうなろうとして現在になりきっているのではない。むしろ、なりきろうと考えないからなり切っている。神経症者が現在になりきろうとすると、意識がなりきろうとする自分とそれを監視する自分に分裂して、強い不安状態を引き起こす。

不安になり切る
不安はなり切るものでなく、ただ不安になるだけである。上と同じ理由により、こんな努力をしているといよいよ精神病院に入らなければならなくなる。

性格の強化
ある森田療法の指導者がこの言葉を使った。これは大変な間違いであり、患者を極限状態に追い込んでしまう。事実私は入院中に激しい鬱状態に至り最悪の状態で退院した。健康な人の性格強化も怪しいのに、健康でない脳を持つ我々に性格の強化を迫るとは大変な過ちである。

粘って生活態度を正す
神経症者は不安の中で粘って目的追求をしてはならない。神経症者は今不安と強迫観念で苦しんでいて危険水域に入っている。その水域で粘ると錯乱状態にもなり得る。粘るのではなく不安を回避すべきであり、明日と言う日があるのを忘れてはならない。

神経症者は常に心のやりくりをする
神経症者は何故心のやりくりをするかを考えるべきである。やりくりするようになったのは脳が不安反応を起していて、悲鳴をあげているからである。病気を治す基本にもどり、先ず自分を不安から開放し、今すぐ目の前の雑用を開始すべきだ。動きこそが脳を正常化する第一歩である。

症状はあるがままにまかせる
症状をあるがままに任すことが出来なくなったから神経症になったのにこの無駄を言う。あるがままに任せるではなくて、直ちに動きに入るべきだ。そこで青い顔をして考え込んでいるのは貴方一人だけで健康な人達は皆きびきび動いている。

外側を正しくすれば内側(神経症)も自ずと治る
こうあって欲しいがそのまま療法になっている。神経症は脳の狂いであり、振るまいを正せば治るような簡単なものではない。「無」という神経症者には極めて不安定な心の位置をそのまま維持できるかにかかっている。

気分本位を正す
気分本位を正せば神経症が治るかと問えば治らない。健康な人は気分本位と言うより感覚本位、無意識本位で行動をしている。神経症者を感覚本位、無意識本位にするには、先ず我々を強度の恐怖、不安から開放する事であり、一日中考える生活から動きを主体とする生活に改めるべきだ。

生の欲望
指導者が生の欲望と言っているようでは話にならない。この嘘が長年ばれなかったのは、今まで誰も神経症が治っていなかったからである。実は生の欲望の正体は強迫観念なのだ。

向上心の達成
向上心も強迫観念であり、私も向上心の実現を求めて人生を台無しにした。日本の100万人の神経症者は今日も強迫観念を向上心と誤解して無駄な努力をしている。

必要とあらば嫌なことにも、すっと手を出す動き
健康世界で誰が必要とあらば嫌なことにもすっと手を出すと言いながら動いているであろうか。健康世界とはこのような号令のない静かな世界である。

目的本位
神経症を治す生き方を指導された時に、その生き方が果たして一般社会の常識と一致しているか、健康な人と同じであるかを確認すべきである。健康な人は別に目的本位で生きているわけではなく、結果的にそうなっているだけだ。順序を逆にすると病の世界にまっ逆さまと言う事になる。

心のからくりを説明する間違い
森田によれば強迫観念とは「当然の心の事実を、そうあってはならないとがんばり、その心を否定し、圧迫し、回避しようとする不可能な心の葛藤から起こる」と説明しているが、これは森田自身が神経症の患者であるのを示している。
健康世界では心のからくりなど興味ないし、心理学なんかどうでもよいのである。それより生活に伴う動きが忙しい。今日も心理学を読み、心のからくりを勉強し、天井を仰ぎ一日じっと動かないのは神経症者だけであり、家族の大変な負担になっている。そんな人が会社に出てきても、まともな仕事が出来るわけがない。先ずは隗より始めよで、仕事をしたかったら今自分の身の周りから開始すべきである。
 
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