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日本人の名前で、個人名が一体どう読むのかと首を捻る場合が多く、
何故こんな名前を付けるのかといぶかる。
でもこの問題は、歴史を振り返ると理解できる。明治になる前の
偉人達の名前を見て御覧なさい。読める名前は殆どないでしょう。
徳川慶喜がその一つで、これを誰が”よしのぶ”と読めるのか。
そればかりでない。一生の内に四回も名前を変える偉人がいた。
何故こんな事をする必要があるのか、また許されたかは社会の
仕組みがそうなっていたと考えて良さそうだ。今のデジタル社会では
許されない。
大体日本では人を苗字で呼び、個人名で呼ぶことはほとんどない。
故に読めなくても問題が起きないが、子供の頃は別だ。
しかし名前は人に呼ばれる関係で、人がどう発音していいか分からない
のでは意味ない。やたら難しい土地の名前の不便さを解消するために、
日本全国全て何丁目何番地に変えてしまったのが一例だ。
ひろゆき氏が、キラキラ名を付ける親は知能程度が低いと言って
物議をかもしているが、私も一部賛成する。
ある高学歴高知能の人の子供の名前を一例に取ると
彼等の名前は至って簡単で、読み方に苦労することはない。
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