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私は鈴木に入院して、その時、鈴木が度々患者に工夫を要求
していた事を思い出す。私は当然ながら落第入院患者であったから
出来なかった分けで、今神経症が治って思うのは、
工夫は意図してやるものではないという事です。
工夫は人間が生まれ持ったもので、人間である限り誰もが
意識的無意識的にしている。だから社会が日夜進歩していて、
ある指導者が指導しなくては、人が工夫しなくなるなんてのはおかしい。
私は今健康世界に生きていますが、意図しなくても自然に工夫している。
表現を変えれば、美味しい味を求めて良いレストランに行く、
美味しい味を求めてスーパーに買い物するのと同じで、誰もがやる。
雑用、工夫は神経症を治すための手段ではなくて、健康になると
自然に現れるのであり、これを引き出す最善の方法は神経症を治す事だ。
当然ながら、神経症を治すには強迫観念が引っ込んでもらわないとならない。
強迫観念は、治そうの意思がちらついている限り減衰する事はないわけで、
だから治そうの意思を意思で消すのです。
それは出来るのを斎藤が証明している。
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